Mag-log in「明日からまた歌える」
お風呂に入った後、あとは寝るだけの時間になってわたしはバルコニーから星空を眺めてそうつぶやいた。
そういえば告知の配信からまだ何もしてないのにチャンネル登録者が千人超えるくらいまで増えていたのがどうしてかわからないんだけど、キリママが宣伝頑張ってくれたのかな?
それだけ期待もされているようで少し緊張感が高まる。
そんなことを考えながら私は夜空を眺め続ける。
星空を眺めるとき、わたしはキラキラとゆらめく星の光を見つめているわけではない。肉眼では何も見えない虚空の闇をじっと見つめている。
目には見えないけれどそこに確かに存在している、力強く輝く恒星を想像する。
望遠鏡で覗けばどこを見ても星の光にあふれているけど、夜空には肉眼では見えない星の方がずっと多い。その数はそれこそ天文学的数字。
しかも中には昼間地球を煌々と照らす太陽よりも何百倍、何百万倍も明るく輝いている星やほぼ光速の速さで自転して電波を撒き散らかしている星、いままさに燃え尽きようとして大きく膨らんでいる星などいろいろある。
それこそ想像が追い付かないほど多種多様な星が見えない闇の向こうに確かに存在している。
わたしという星も今はまだ世間からは見えない。望遠鏡を覗き込んでも見えるかどうかも分からない小さな点でしかない。
だけどわたしはその程度で終わらない。もっともっと輝きを増していずれは一番星に、いやそれすらも超えて世界中を照らせるような輝きを放つようになりたい、いやなる。
恒星が自分自身を燃料にして輝くように、この命ある限り魂の全てを燃やし尽くして歌い続ける。
明日の夜がスタート地点。生まれたばかりの星として最初の輝きを人々に届ける。
わたしの声が、パフォーマンスが一人でも多くの人の耳に、そして心に響くようわたしは歌い踊る。わたしの光で一人でも多くの人に元気をもらってほしい、前を向く勇気を受け取って欲しい、傷ついた心に癒しを届けたい。
それがわたしの幸せであり、使命。
その輝きで闇夜を昼間のごとく照らしだしてみせる。
恒星に起きる最もまばゆい輝き、銀河全体の光にも匹敵する超新星爆発のように。
「こんな時間に何をしてるんですか?風邪ひきますよ」
わたしの思考を中断させたのはかの姉の優しい声だった。
「もう四月といっても夜はやっぱり冷えますから、湯冷めしてしまいます」
そう言いながら近づいてきて、そっとくるむように後ろから優しく抱きしめてくれる。かの姉そのものを体現するかのようなふんわりとした、心まで温まるようなぬくもり。
その体温がやけに温かく感じたので、自分で思うより体温が下がってきていたのだろう。
「ほら、こんなに冷たくなって。ゆきちゃんのことだから明日の事を考えて気が高ぶってしまったんでしょう」
「かの姉にはお見通しだね。なんだか体が熱くなってきちゃって少し冷まそうと思って空を見てたんだけど、少し冷ましすぎちゃったみたい。それにしてもよくわたしが外に出てるって気が付いたね」
「ゆきちゃんのことならなんでもわかりますよ。きっと遠足前の小学生みたいに眠れなくなってるだろうなってことも」
「そこまで子供じゃないと思うんだけど」
そんな軽口を言い合いながら笑っていると気が楽になってきた。わたしはもう一度空を見上げる。
「空を眺めて物思いにふけるゆきちゃんもとても絵になっていていいんですけど、さすがに体を壊すので長時間はダメですよ」
そう言ってわたしの手を取って部屋の中へと導いてくれるかの姉の手はとても温かくて、手だけじゃなく体全体ポカポカするような気になる。
凝り固まった体と心をほぐしてくれているかのように気持ちも楽になっていった。自覚してなかったけど、やっぱり少し気負いがあったみたい。
かの姉と一緒にいるといつもこうやって気持ちが落ち着いていく。
狙ってやっているわけではないのだろうけど、気分が落ち着かないような時にかの姉だけが持つこの独特な雰囲気とおっとりした話し方、柔らかな表情、こちらの発言を急かすこともない自然体で隣に寄り添ってくれていると、それだけで引っかかっていることやなんとなく他の人には言いにくいことでも自然と口から出てきてしまう。
目の覚めるようなアドバイスをしてくれるわけでもないのに、かの姉にそばにいてもらうだけで気持ちの波が凪いでいく。
これが人徳というやつなんだろう。
そう思ってかの姉の手を握っていると、肩の力が抜けてさっきまで全く訪れなかった睡魔がやってきた。
「ありがと。おかげさまで眠れそうだよ」
「わたしは何もしていませんよ。ゆきちゃんは頑張り屋さんすぎるところがあるから少し力を抜くくらいでちょうどいいんです」
あなたはもう少し力を入れてもいいのでは?なんて思っていると今度は正面から抱きしめられて柔らかい感触といい匂いに包まれた。
「ちょ?かの姉?」
今日のかの姉はそのまま開放してくれずに、それどころかより一層力を込めて抱きしめてきた。
「ほら、体が冷え切っている。よく眠れるようにちゃんと温めてあげますからね」
「さすがに恥ずかしいよ」
「今は二人きりなので大丈夫ですよ」
恥ずかしいんだけど、やっぱり体の力が抜けていく。羞恥心とは裏腹に心と体の方はすっかりリラックスモードに入っているみたい。
ガチャっ。
「ゆきちゃん、こないだ貸してくれた漫画の続き読みたい~」
ひより登場。だけど、特に何を言うでもなくわたし達を見つめている。
ひよりから見ればどう見ても2人抱き合ってるように見えるだろう。実際その通りだ。
大騒ぎをするかと思っていたけど、そのまま何も言わずに回れ右をすると廊下に出てしまった。あれ?無反応?
「より姉~!あか姉~!ゆきちゃんとかの姉が密室で抱き合ってるよ!スキャンダルだ~!」
緊急招集をかけに行っただけだった!
しかも集合はやっ!あっという間に私の部屋に3人が集まって尋問体制。
「ふたりきりで何してた」
珍しくあか姉が真っ先に食いついてくる。
「愛情たっぷりのハグをしていただけですよ」
言葉のチョイスが確信犯!わざと話をややこしくしようとしてるよね?3人ともこめかみに青筋が見えるよ!
「かの姉!それあおってるから!わたしがお風呂上りバルコニーにいて体が冷えてたから温めてただけって言えばまだマシなのに!なんでそんな誤解を招くような言い方するの!」
「あら。愛情たっぷりってのは本当の事ですよ~」
「ほう、愛情たっぷりに熱い抱擁で温めてたってーことだな」
より姉がしっかり挑発に乗っちゃってるじゃない!あか姉とひよりもふくれっ面してるし。
「これはわたし達も温めてあげないといけない」
「茜の言う通り、抜け駆けや仲間外れはうちでは御法度だ」
「わたしもゆきちゃん温めてあげたいし!」
そう言うなり全員でわたしを温めようとくっついてきた!だからいつも言ってるけどわたしも男の子だから!そんな一斉に抱き着かれるといろんなところが当たって……。
4人分の女体が密着しているのは思春期の男の子には刺激が強すぎる!みんな柔らかいしお風呂上がりのいい匂いがする……あ、なんか頭が真っ白になってきた……。
「さすがに暑いですぅ……」
「ほんとだ。ゆきちゃん顔が真っ赤になってるよ」
「ほんとに暑いだけで赤くなってんのかな~、ゆき?」
より姉。
「逆に汗かいちゃうから。もう限界みんな離して……」
「違うとこも限界なんじゃねーの?」
より姉確信犯だな!ええい無視だ無視!年頃の女の子がいきなり下ネタぶっこんでくるんじゃない!
「どうせ明日からの配信が楽しみで寝られないからバルコニーに出てたってなところだろ。夜はまだ冷えるんだから気をつけな」
「ゆきちゃん違うとこってどこに限界がくるの?」
ひよりはその話題引っ張らないで!
かの姉とあか姉は少し顔も赤いしさっきから黙ったままだから意味がわかってるみたいだけど、気まずくなるからこれ以上はやめてほんと。
「み、みんなが温めてくれたおかげでぐっすり眠れそうだよ!ありがとね」
「違う意味で眠れなくなったりしないか?よかったらわたしが添い寝してやるぞ」
ニヤニヤしながらとんでもないこと言わない!当然のごとく他の姉妹も添い寝希望しちゃってまた詰め寄ってきた。
ほらまた収集が付かなくなっちゃうでしょうが!
「ひとりで眠れるから平気だってば。明日に向けて体力を温存しとかないといけないし、そろそろ眠ることにするね」
これ以上はダメだと思って会話の強制終了。全員に速やかに自室へ戻ってもらった。
結局大騒ぎになって終わっちゃったけど、本当のところはきっとわたしが初配信に向けて気持ちが高ぶっていることをみんな察していて、様子が気になっていたんだろう。
だからかの姉は様子を見に来たし、ひよりはわざわざ騒ぎにしてみんなを集めたんだろう。
励ますなり落ち着かせるなり、なにかしらわたしに声をかけて明日の応援をしたかったんだと思う。
直接そう言われたわけではないけど、小さいころからずっと一緒にいればなんとなく察することもある。
1人1人からすごく大切にしてもらってるんだということが伝わってきて心がすっかり温かくなり、気持ちも落ち着いたわたしはいつも以上に心地よい気分で眠りへ落ちていくことができた。
リスナーさんの前で復帰祝いの唄を披露し、失敗してしまったあの日から一年以上の月日が過ぎて、わたしは二十二歳になった。 そして今、わたしはある一室にいる。 「わたしはもっとみんなの近くで唄いたい!」 そう宣言してから半年以上、わたしはリハビリとボイトレに励み、そして自分の声を完全に取り戻した。いや超えた。 かつての音域からさらに半オクターブ、広げることができたのだ。 そしてわたしはボイトレに励みながら、ある計画を実現させるためにかつての自分の考えを覆す決断をしていた。「それではその時は全面的にプロデュースをお願いするということで。利益の取り分は書面通りで構いません。よろしくお願いします」 かつて大阪で琴音ちゃんを通じて知り合った女性プロデューサー、五代さんに向かって頭を下げる。「こちらとしてはどんな条件であれ、ゆきさんに来てもらえるなら大歓迎です。でも一体どういった理由で心変わりを?」 芸能界という世界を毛嫌いし、関連するようなところとは極力距離をおいてきたわたしが突然こんなことを言いだしたのだから、疑問に思うのも当然だろう。「確固たる目的のためです。わたしが以前、脳の障害で一年以上昏睡状態にあったのはご存知ですよね?」 黙って頷く五代さん。 ネットどころかオールドメディアでもニュースになったような出来事だから知っているのは当然だろう。いや、その仕事からしてたとえニュースにはなっていなくとも、彼女ならそのネットワークで情報を得ていただろうと思う。「元々わたしは幼いころから脳の障害を抱え、余命も宣告されていたことから生きることに対して諦めの気持ちがありました。だけどそれを変えてくれた人たちがいた」「お姉さん達ですね」 意外な人から突然核心をつかれてしまったことに驚き、わたしは目を見開いた。どうしてこの人がそのことを? わたしの疑問が顔に出ていたのか、五代さんはふっと笑うと以前は見せることのなかった柔和な表情を浮かべた。「ゆきさん、わたしは何も企業利益だけを考えてあなたに声をかけたわけじゃありませんよ。わたし
「みんなただいま!」 ようやく帰宅許可が下り、無事退院となったその日。 我が家では家族全員が休みを取って快気祝いのパーティーを準備してくれていた。「「「「おかえり!」」」」 声を聞くだけで分かる、心から待ちわびていた祝いの言葉。 お母さんから始まって、家族全員とハグをした。この辺はアメリカ生活をしていた名残なのかな。 お父さんは少し恥ずかしそうにしてたけど。息子相手なのになぁ。「それで、もう日常生活に支障はないのか?」 より姉が気づかわしげな視線で尋ねてきたので、わたしは元気をアピールするために腕をぐるぐる回してみせた。「この通り、すっかり元気だよ! まだ激しい運動は止められているけど、軽い筋トレくらいなら大丈夫。日常生活の筋力を取り戻すためにも家事は積極的にやってくださいだって。だから明日からはまたわたしがご飯を作るからね!」「……!」 みんな声にならないほどの衝撃を受けている。え、わたしがご飯を作るのってマズイ?「ま、またゆきのご飯が食べられる……」 両手で口を押さえたお母さんが感涙にむせぶ。えぇ、そんなに!? かの姉とあか姉は無言で両手を天高く突き上げている。一片の悔いなし? そしてより姉とひよりに両サイドから抱き着かれてしまった。「一年半ぶりのゆきちゃんの手料理! もう今からお腹が空いてきたよ!」 明日まで待ってたら餓死しそうだね。「いかん、よだれがとまらん」 本当によだれを垂らしてしまうより姉。乙女のする顔じゃないぞ。 でもこんなに待ち焦がれてくれていたとなれば腕が鳴るというもの。明日は目いっぱいご馳走を作ろう。「でも思ったよりも早く退院できましたね」 ようやく気分の落ち着いたかの姉がオードブルの並んだ食卓につきながら、感心したように言って来た。「そうだね。若さもあるけど、それ以上に頑張ったしね」 最初は半年の予定でリハビリプログラムを組
立てるようになってからのリハビリは、想像していた以上に大変だった。 平行棒、杖、歩行器を用いて転倒防止に注意しながら、重心移動や筋力向上、正しい歩行様式を取り戻していくのは一朝一夕にできるようなものではなく、なかなか思うように動いてくれない体に苛立ちを覚えつつも地道に筋力を蓄えていく作業。 下手に頑張りすぎると逆効果になると分かってはいるけど、一日も早い復帰を願う気持ちはなかなか抑えられるものでなく、遅々として進まないリハビリプログラムにヤキモキしていた。「さすが若いだけあって回復が早いですね」 歩行訓練後のマッサージをしてくれながら、理学療法士の飯島さんがそう言ってくれる。「自分では回復が遅く感じてしまい、どうしても焦ってしまうんですけどね」 どうしても頭をもたげてしまう焦りの心。 愚痴をこぼしたところでどうにもならないとは分かっているけど、ずっと優しく指導をしてくれる飯島さんにはつい甘えてしまう。「早くおうちに帰りたいですもんね。でもね、わたしもあなたのファンだから言うけれど、待っている側からすれば焦って戻ってきて取り返しのつかない後遺症が残るくらいなら、何年でも待つから万全な状態で戻ってきてほしいと願うものですよ」 優しい手つきでふくらはぎを揉み解しながら、それ以上に優しい笑顔を見せてくれる飯島さん。 リハビリが始まった当初からわたしのファンを公言していて、担当が決まった時には飛び上がって喜んだそうだ。 そんな熱心なファンをしてくれている彼女の言葉だから信じたいけれど、どうしても不安な気持ちは拭えない。「飯島さんはそうかもしれませんけど……」 八つ当たりにも似た発言だけど、飯島さんは気分を害した気配すらなく、穏やかに話を続けた。「不安になるのも分かりますけどね。ファンを信じるのもアーティストとしての務めじゃありませんか?」 ただの弱気の吐露にも関わらず、温かい表情で返ってきたその言葉に、わたしの中の何かが動いた。 今まで明確に意識したことはなかったけれど、わたしもアーティストの端くれな
リハビリをやり始めてから比較的すぐに自力で立ち上がれるようになった。 だけど、そこからが過酷な日々の始まり。 最初は一歩二歩と歩くだけで滝のような汗をかき、心拍数も爆上がりしてしまったのでその時点でリハビリ中止。 その後も数日間はトライしては中止の繰り返しで一向に進まない。 そこで体力の回復が先決だと判断した先生の指示により、立って歩くよりも先に長時間座ることから始めることにした。 ただ座るだけと思って侮っていたけれど、すっかり体力の衰えてしまった体にはこれが存外キツイ。 スマホを触って気を紛らわせているとはいえ、最初は二時間程度で音を上げてしまった。 だけどそれも繰り返すうちにだんだん苦ではなくなっていき、半日座っていられるようになった頃にはかなり体力も回復していたようだ。 その後に始まった歩行訓練でも最初のように滝の汗をかくことはなくなり、ようやく日常生活に向けての第一歩が始まった。「今日はね、リハビリ室の端から端まで歩けたんだよ」 嬉しそうに報告するわたし。「ふーん」 なんだか気のなさそうな返事をするより姉。「あれ? なんか怒ってる? わたしのリハビリが進んでるのが嬉しくない?」「いや、そんなわけないんだけどな。ゆきがどんどん元気になっていってるのはそりゃ嬉しいさ。でもな」 なんだろう。リハビリとは関係なさそうだし、他に何か怒らせるようなことしたっけ?「ゆき、何か報告しておかないといけないことを忘れてないか?」 報告? ずっと病院にいるわたしがリハビリのこと以外で何を報告することがあると言うんだろう?「何のこと?」 本当にわからない。わたしがより姉を怒らせるようなことなんて皆目見当もつかないよ。「茜とのことだ」「ひうっ!」 突然あの日のことを突きつけられて、ビックリすると同時に思い出してしまったので変な声が出た。「なんだその奇声は。茜が自慢気に話してたのは本当だったのか……。てっきりあいつの作り話だと思ってたのに」 カマかけられた! でも本当のことだから嘘をつくのもなぁ。「それで、だ。ゆき」 改めてわたしの方へと向き直るより姉。対して被告人よろしく姿勢を正すわたし。「正妻の立場としてはだな。茜がしてもらった以上は同じことをしてもらう権利があると思うんだが」 いや、あれはわたしの方からやったわけじゃな
「みなさん、こんにちは。どうもご無沙汰してました。雪の精霊、YUKIが今日もみんなに幸せを届けるよ! とまぁかつてのテンプレ挨拶をぶちかましたわけですが。みなさん、本当に長い間お待たせしました! ゆきはこの通り見事復活を果たして今ではピンピンしていますよ。 眠りこけていたおかげですっかり体がなまってしまったので、しばらくリハビリが必要なんですけど、またみんなに歌声を届けられる日が来るのも近いです」 ひよりに撮影許可とノートパソコンを頼んだ次の日、今日の当番だったあか姉が許可を取れた情報と共に届けてくれた。 そのパソコンを使ってさっそく配信予約を取り、夕食後の十九時に配信を開始した。 配信の告知をしたのは昨日なのに、みんな余程待ちかねてくれていたのか同接は60万人オーバー。 倒れる前の50万人を大きく上回る結果となった。「たくさんの人が見に来てくれて、それだけわたしの歌声がみんなに求められているんだと思うと感無量です。変わらぬ応援にとても感謝しています」 あまりのありがたさに思わず涙ぐんでしまう。だって一年以上ものブランクがあって、それでもこれだけの人が集まってくれるのが嬉しくて、ありがたくて。【歌ももちろんだけど、ゆきちゃんの顔が見たかった】【元気そうで安心した】【ゆきちゃんの姿を見たら涙が出てきた】【ほんと、おかえりなさい!】 歌だけじゃなく、わたし自身をも待ってくれていたというコメントに、とうとう涙が溢れてしまった。 あーあ、本当にわたし涙もろくなったよなぁ。男のくせにみっともないとは思うけど、止められないものはしょうがない。「みんな本当にありがとうね。一日も早くみんなの前で唄って踊れるよう、毎日リハビリ頑張ってるんだ! だからほら、一週間でもう立てるようになったんだよ」 そう言ってノートパソコンをテーブルの上に置き、立ち上がろうとするわたし。 まだ安定性には欠けるけど、どうにか自分の足で立ち上がることが出来た。隣であか姉がハラハラしたような顔で見てるけど。【あんまり無理はしないで】【ワイらはいつまでも待ってるから】【生まれたての小鹿みたいになってるやん】【怪我する前に座って!】 うちの姉妹だけでなく、リスナーさん達もわたしには過保護だな。「これくらい大丈夫だって。なんならターンしてみようか?」 調子に乗ってターンをしよう
日々続くリハビリは、思った以上に大変だった。 まずは寝返りや座ることから。最初の内はそれすらも大変で、どうにか寝返りを打てると言った状態だった。 それから座ることも難なく出来るようになったかと思ったら、息つく暇もなく自力で車いすに乗ることを特訓。 これが想像以上に困難なことで、立ち上がろうとしても膝が笑って上手くできない。看護師さんの介添えがあってようやくといったところ。「えへへ。密着出来て幸せぇ」 一部、邪な考えで介助してくれている人もいるけれど。 一度より姉に見つかって、ナースステーションで担当替えを真剣にお願いされていた。できればわたしも替えて欲しい。 でも決して手は出させませんという言質を得て、どうにか引き下がっていたようだ。そこで納得しちゃうのね。 わたしの不安な気持ちと、あの舐めるように見てくる気持ち悪い視線からは解放してくれないのだろうか。 病院も人手不足なのはわかるけど、あんなのを特別病棟に配置して評判に関わったりはしないんだろうかと心配になる。「今まではもうちょっとマシだったんですけどね」 他の看護師がそう言ってフォローしてたけど、正直何の慰めにもなってませんよ? むしろエスカレートしてるってことで余計不安になったわ。 だけど車いすに乗って久しぶりに外へ出たのは気持ちがよかった。すっかり忘れかけていた風の匂い。 そこには微かに草木の匂いが混じり、まもなく訪れる生命が謳歌する夏の気配を感じさせる。でも今日は少し湿っぽい匂いも混じっているから、雨でも降るのかな。 以前と違って色が見えるようになったわたしは、外の景色をいくら眺めていても飽きることがない。 目を凝らせば色というのはあちこちに散らばっていて、普通に暮らしていれば気づかないようなところにも鮮やかな色が潜んでいる。 例えばビルのひび割れから生えた生命力に溢れた雑草の緑。暗いアスファルトの隙間から顔を覗かせるたんぽぽの鮮やかな黄色。 普通の人なら気づくことなく通り過ぎてしまうその景色も、今まで違う世界を見ていたわたしには物珍しい。 部屋にいてもスマホやテレビを見ている時間より、窓の外を眺めている時間の方が長いくらいだ。「なぁに、また外を見てるの?」 今日はひよりの番なのか。「うん、今日も外の景色がキレイだからね」「やっと見えるようになっ
ホテルの部屋でお菓子パーティー。「それじゃ、女子会始めるぞ~」「「「いえーい!」」」 女子会じゃねー! ここに! 男の子が! いますから! 忘れんな!「まぁまぁゆきちゃん、見た目だけの話だから」 そうか、見た目だけならまぁ。 とでも言うと思ったか?「はい、ゆきちゃん」 かの姉にチョコレートを口に放り込まれた。うん、美味しい。「ゆき、餌付け」 違うわ。 まぁ甘いものを食べると大人しくはなるんだけど。これって餌付け? コンビニでかの姉の見つけたフルーツジュースが美味しそうだったので、いろんな味のものを買い込んできた。 わたしが最初に飲んだのはシャインマスカット。渋味
より姉に腕を絡ませ、駅への道を歩いていく。 上機嫌なより姉は気付いてないけど、すっごく注目されてるからね。 わたし達って傍から見たら、どういう風に見えてるんだろう。男装してるけど、より姉はどこからどう見ても女性だもんなぁ。「やっぱり百合カップルだよねぇ……」「ん? 何がだ?」 ニコニコ笑顔の依子さん。鼻歌でも歌いだしそうだ。「いや、わたし達ってどういう風に見えてるのかなぁと思ってね」「そりゃ美男美女のベストカップルだろ」 それは無理があ
「……」 ごめんなさい、冒頭から言葉が出ません。 より姉の部屋で指定のドレスに着替えたんだけど……。「より姉、ナニコレ?」「ん? ドレスだが?」 それは分かるよ。うん、ドレスだね。 何の服かを聞いてるんじゃないんだよ。問題はそこじゃなくって。「上半身の布地がえらく少なくはありませんか?」「そうか? そんなもんじゃねーの?」 そんなもんであってたまるか。なんだこの露出の激しさは。 背中はがら空きだわ、胸は半分見えてるわ、腹部に穴が開いておへそが見えてるわ。「なんだ、寒いのか?」 そうじゃねーよ。 もうすぐ夏だし、寒くはない。 体はね。 でも心が凍えそうだよ。「も
今日からいよいよ新学年。「ゆきちゃん、最後までよろしくね」「よろしくー」 結局、文香と穂香は中学から数えて5年間、ずっと同じクラス。 生徒会役員をずっと同じクラスに固めてよかったのかな。先生方は何を考えているんだろう。「驚いてるね」「そりゃそうでしょ。なんせクラスを分けたら生徒会解散の危機になるって脅したしね」 なんということを……。 金剛力士様恐るべし。「最後までゆき会長を支えていかないとだからね」「祀